85人目 日本リザルツ:白須紀子 氏

アメブロにて掲載していた記事をまとめています。


日本リザルツ
日本リザルツ
白須紀子 さん
ホームページ:http://www.resultsjp.org/main.html
目次
85人目Vol.1 初めて、人の「死」を意識した
85人目Vol.2 一生懸命言えば伝わる
85人目Vol.3 嫌われたら嬉しい、って思うくらいじゃないと生きて行けない
85人目Vol.4 目の前のことを一生懸命やることが社会の為、世界の為になる


白須紀子白須紀子白須紀子白須紀子白須紀子白須紀子白須紀子白須紀子

今回の旅は、日本リザルツの白須紀子さんです!

まずは読者向けに自己紹介をお願いします。

RESULTS(リザルツ)といって、
あまり皆さん知らないところだと思うのですが、
政策提言や普及啓発活動(アドボカシー活動)を行っている
国際市民グループ(NGO)です。
民意の反映された国際援助を実現し、
飢餓と貧困の根絶を最優先とする“政治的意思”の確立に向け活動しています
アメリカのワシントンに本部があるのですが、その日本支部になります。
カナダ、イギリスでも活動しています。
実際に途上国に行って井戸を掘ったり、学校建設はしていません。
「ODAの予算を増やしなさい!」と提言する。
そういった活動をしていますね。

基本的には貧困飢餓を無くそう。という活動ということですね。

そうですね。ただ、貧困飢餓と言っても、
とてつもなく広いので、何でもやっていますね。
もちろん、私自身としては、
骨髄バンク(骨髄移植推進財団)の事務局の最初のボランティアでもありますから、
骨髄バンクの普及や啓発活動には、今も取り組んでいます。
2001年には「骨髄移植を必要とする患者関係者有志」の発足にも携わり、
30万人ドナー登録早期達成、医療保険適用、
政府補助金の増額、寄付要請など各方面で動いてきました。
日本リザルツでは2005年からボランティアをしていました。
2007年からはナショナル・ディレクターとしてマイクロクレジットの普及、
結核感染問題などに取り組んでいます。
結核って、エイズ、結核、マラリアという世界の3大疾病の一つです。
三大感染症で1年間に500~600万人亡くなっているんです。
そのうちの190~200万人が結核で亡くなっています。
エイズやマラリアに関わっている団体は世界的にも多いんだけど、
結核をやっている団体っていうのは比較的、
いや、ほとんど無くて、リザルツ位なのかな。世界的に見て。
2007年3月にリザルツの中心的なメンバーになったんですけど、
それまでは、骨髄バンクなどの国内の医療問題、
たとえば臓器移植、ハンセン病などに取り組んでいました。
診療報酬の改定、補助金を増額させよう。
そういう活動をしていました。
ただ、最初は街頭で、
「ドナー登録をしましょう。」
チラシを配ったり、献血の呼び込みをしたりしていました。
いろんなところで朝から晩まで、
ご通行のみなさまーと言って、献血を呼びかけたりもしていました。
献血の呼び込みなんて、日本一上手いですから!!(笑)
献血者が溢れるくらい集まってきちゃうんです。
「白須さん、ちょっと休んでいてください」
って言われちゃうくらいでした。
もともとは下手だったんですよ!
最初はとっても恥ずかしかったし、
友達に会ったらどうしようと思っていました。
働いたことなんてほとんどなかったんですから。

そうなんですか?

ただの主婦で、暇な日々を過ごしているただのおばさんだったんです。
父が70歳で亡くなったことをきっかけにボランティアをはじめたんです。
父は膀胱癌だったんですけど、女子医大に入院していました。
うちの父は先生や看護婦さんに、
「あ、いいです、うちの娘が何でもやりますから」
と言って、看護婦さんでもないのに、私達が、
母と交代で24時間看病していたんです。
少しずつ医療の事とかわかってきたんです。
女子医大の臓器移植のところに父が入院していたので、
日本の臓器移植のトップの先生、
国の委員会の先生がいらして色々勉強になりました。
移植がうまくいかなかったり、
移植を待っている人をずっと見ていて、
人が亡くなっていく状況をいつもみていたわけなんです。
自分の父も死に直面しているのを見ているうちに、
初めて、人の「死」を意識したんです。
それまでもおばあさんやお友達のお母様が亡くなったりするのを見てきたんだけど、
お数珠を合わせていただけだったような気がして申し訳なく思いました。
父が70歳で亡くなったときに、
悲しいって気持ちよりも悔しいという気持ちになりました。
父は一生懸命生きようとしていましたし。
父が亡くなったあと、たまたま新聞で、
骨髄バンクができる。っていうのを知って、
じゃあ自分は主婦で暇だし、すること何も無いし。
とりあえずボランティアをしてみようと。
それがはじまりです。

暇だったからはじめた。とは、
かなり軽いノリだったんですね。
はじめるにあたってまずはどうされのでしょうか?

まず、骨髄バンクの事務局を尋ねて、
「時間がいっぱいあるのでボランティアさせてください。」
って言いました。もちろん断られましたけど。
しばらくして、忙しいからやっぱり来てください!
って連絡が来て、骨髄バンクの事務局の第一号のボランティアになりました。
ところが、骨髄バンクに行っても、何もできない。
仕事らしいことをしたことがなかったものですから。
電話もとれない。
骨髄移植推進財団(こつずいいしょくすいしんざいだん)
まずこれが言えなかったですね。
だんだんとはっきり言えるようにはなりましたが、、、。
公共広告機構で骨髄バンクのCMが流れると、
多いときは1日に1000本以上電話がなることもありました。
一人で100本位の電話をとらないと間に合わないわけ。
宛名書きは家に持って帰ってやっていました。
少ない人数じゃ無理なんです。
そこで登録ボランティア制度みたいなものを作りました。
気づけばすごい数のボランティアさんをつかうおばさんになっちゃったわけ。
ボランティアさんの面接から、職員の教育から。
ありとあらゆることを任されるようになっちゃって、
私の部下というか、仲間が一番多くなっていましたね。
その頃はボランティアさんも職員さんもみんな一体となって、
白血病の患者さんを救おう!
と、がむしゃらに頑張っていましたね。楽しかった!
ボランティアさんも一生懸命やっていたので、
職員の方たちが私たちの意見も取り上げてくれるようになりました。
歯車じゃなく、本当の手足になれたんですね。
そうこうしているうちに骨髄バンクの理事にもなったので、
少し仕事を整理して、他のボランティアさんに任せるようにしました。
もともと頭悪いし、勉強嫌いだし、新聞も本も読んだことない人間。
そういう人間ができることは、外に出かけていくしかない。
だから1日3回くらい厚生労働省に行ったり、時には財務省に行ったり、
だれがどう偉いとかわからないので、
わからないまま国会議員さんに会いに行っちゃったり。
まわりは、驚いていたと思います。(笑)
基本的には、自分の旦那さんやおじいちゃんと思えばいいや。
と思っていろんな方と会いましたね。
一生懸命言えば伝わるんですよね。
例えば、骨髄バンクを介しての移植数がどんどん増えるのに、
小泉改革で普通の財団のように10%、10%、補助金を削減していったんですね。
命に関わる財団もみんな10%削減されていくわけ。
そうすると患者さんの負担金が増えてくる。
お金がない人は移植できない。
それはちょっとまずいんじゃないの。
おかしいんじゃないの。って思って、
毎日役所に言いに行ったわけです。すると、
「白須さんね。これはね、何十年も前の法律で決まっていてね、こういうのがあってね。」
って、言われるわけですよ。
でも私、そういうの全然しらないし、勉強もしてないし、興味もないですから、
「知らない!」
「勉強したこともないし、よくわからない!」
「でも、変なものは変!」
っていうと、役所の人も困ってしまう。
この調子で毎日毎日来られても困る。
なんとかしなきゃ、ってことで、
結局、法律を変えてくれたりしたんですよね。
命に関わるような財団は、
小泉改革の10%削減の対象ではなく、
必要なところはどんどん補助金を増やしていく。
っていう制度的補助金に変えてくれたんです。
本当にうれしかったですね。
私ね、父が亡くなった時に思ったのは、
人一人が亡くなると、
その人が生きるか死ぬかによって、
周りが喜ぶか、悲しむか、
全く反対になるわけじゃない。
そういうことを父が亡くなった時にすごく感じて、、、。
骨髄移植をする人は、赤ちゃんから青年から、お年寄りもいるんだけど、
やっぱり死んじゃうと親御さんも、悔しいし、本当に悲しいですからね。
少しでも多くの人を救えたらいいなと思って活動してきました。

全然詳しくなく、勉強不足で恐縮なのですが、
素朴な疑問として、NGOさんとかのお給料ってどうなんですか?
生活もあると思うのですが。。

私達、開発NGOの人っていうのは、
英語ができる、フランス語ができる、留学している、
すごく優秀な人達が多いんです。
ただ、ホントみんな貧しいんです。
生活できないような人達が多いんです。
でもみなさん、志は高い。
でも懐は貧乏って言う人達が多いです。
世界的に有名なケア・インターナショナル、
セーブ・ザ・チルドレン、ワールド・ビジョンとか。
大きなところがいくつかあるんですけど、
そういったところは比較的お給料がいいですね。
国家公務員よりもお給料が高いところもあります。
ところが日本のNGOさんのほとんどは、
月に5万円とか10万円といったところもあります。
リザルツはなんとかやっていけてますが、成果(リザルツ)を出さないと、
すぐにクビにもなるかもしれないですけどね(笑)
だから、自分でいい勉強になったな。って思うことがあって、
成果を出す、っていうこと。
子育てをやってても、家で何かをやっていても、
きちんと責任を持って成果を出す。
っていうことは同じで、何をしても変わらないと。
人を育てながら成果を出していくのは、仕事をしてもしていなくても
一緒なんだな、って。すごく感じましたね。
だから、わけのわからないお母さん感覚で、どんどん
役所に行ったりもしましたね。
「あ、こんにちはー!局長いらっしゃいますか~?」
っていう調子で。
みんな、誰が来たんだ?ってビックリしてました。
以前はツメを真っ赤かにしたり、緑にしていたので、
鬼のようなおばさんが、Barの借金取りが来た。
なんて思われていたみたいですが、、、、。
そんなおばさんが、ドン!って座って、
「骨髄バンクの予算が足りない」
「このままでは患者さんが死んでしまう!」
と、わけのわからないことを言い出し、
感極まって泣いたりもしました。
役所の人たち本当に困っていらしたと思います。
そんな調子で財務省に行ったり、
厚生労働省に行ったりしていたので、
役所の人やマスコミの人にも有名になって、、、。
髪の毛長くて、Tシャツ着てる変なおばさん、ってことでね(笑)

常にこのスタイルなんですか?

ずっとこのスタイルですね。
自分で決めちゃったんです。
どんな偉い人のところに行っても、私の格好をみて、
なんだこの人は?と思う人とは付き合わない。と。
人の表面だけをみて判断する人とは別にお付き合いしなくてもいいじゃないですか。
こちらが選ばなくても向こうが勝手に去ってくれるわけですから。
私みたいなわけのわからない人間を応援しようかな~
って思う役所の人って、とてもいい人なんです。
だからよくマスコミや世間で役所の人がどうのこうの。
って言いますけど、本当にいい人も沢山いらして、
本当に色々、助けてもらいました。
そういう人達は当時偉くはなかったけど、
今ではものすごく偉くなっていますね。
偉くなられても以前のように助けていただいています。
運がいいんです!
「こんな人、白須さんだけだよ」
「普通の人にはできないよ」
って言われます。
何もわからないおばさんだからできたんでしょうね。
他の人は、「偉くなったから会えない。」
私は別に、偉くなっても前から知ってるんだから、
ちゃんと時間をとって会ってもらっています。
普通に、「いいですよ」って言ってくれますよ。
男の人に多いのかな。
自分から構えちゃう人。
だけど物事を実現していこうとか、困っている人を救おう。と思ったら、
結局、お金じゃないですか。
そしたらお金を牛耳ってる人は上の上の人。
だから上の人と直接話さないと、
この人会ってくれないんじゃないか。
大臣だから無理だろう。
って、だんだんと自分で”できない”という壁を創っちゃうんですよね。
偉い人だからと、本当はちょっとは感じるんだけど、
知らないフリやちょっとわかんないフリをして少し勇気をだしてやらないとね。
その勇気がない人が多くなったかな、とは思いますね。
私も本当はドキドキしているんですよ、今も。
あと、私は嫌われることが大好きで、
嫌われたら嬉しい、って思うくらいじゃないと生きて行けない。
すごく嫌われているんですよ。

そうなんですか?

そりゃそうですよ。大騒ぎばっかりしてるんですから。
過去には一人対厚生労働省みたいに闘って、
6時間くらい厚生労働省の部屋に篭城したこともありましたから(笑)

私、ボランティアをやっているときに決めていたことがあって、
地位や名誉をもたない。
名刺も持たない。
ってことをずっと続けてきたんです。
「日本赤十字社の倫理委員になりませんか?」
とか言われたときも、
私、頭悪いから。倫理って言葉もわからないし。
お断りしてました。
今振り返ると、引き受けていたら、
今頃、ものすごい立場になっていたかもね(笑)
ただ、そういうのがあまり好きじゃなくて。。。自信もなかった!
骨髄バンクのボランティアをしているときはいつも名刺も持たず、
「白須で~す!」
って言ってました。
なぜかって言うと、男でも女でも、お金持ちでもなんでも、
一旦患者さんになってしまうと、そんなこと関係なくって、
結構みんな孤独なものじゃないですか。
それを考えた時に、支えるボランティアさんが
地位や名誉があったって仕方ないじゃない。
むしろ何も無いってことをきちっと自分の中で理解した上で、
地位はいらない。お金はもらわない。
って、自分の中で決めたんですね。
どこに行く時も、
「私、白須ですけど」
って言うようにしていましたね。
今は、リザルツというところに属してはいますが、
あまり「リザルツの白須」言わないかな。
肩書きがあって生きている人って多いんですけど、
私なんて生まれてこのかた、
肩書き無くて生きてきているんで、楽でしょ?
自分で責任を負えばいい。
大騒ぎしようがデモをしようが(笑)
ボランティアをはじめたときから、
そういう生き方をしようと決めたんです。

ではインタビューも後半になってしまいましたが、
ここでテーマでもある29歳のときのことをお聞きしたいと思います。

ずばり29歳の頃は何をされていましたでしょうか?
何もしてないわよ!
26,27歳頃に結婚したから主婦をしてました。
お料理が大好きで、お料理作ってたわよ!
あとは、子供ができた位の時期かなぁ。。
子供が子供を生んじゃったので、
もう私の人生終わりだな~と。
嬉しいとかじゃなく、なんか大変だなぁ~。って思ってましたね。

当時、夢とか目標は?

夢とか、何にも無い。
どうこうしたいとかそういうことを考える人間じゃなかった。
ボーっと生きていました。

これからの若い人達に伝えていきたいことは何かありますか?

若い人にボランティアをしなさい!とか、
まったく言うつもりはありません。でも
「自分達がちょっとずつ何かを変えていく力がある。っていうことが、本当にある!」
ってことに若い人には気づいて欲しい。
目の前の勉強や仕事をやることで、それが社会貢献に繋がる。
自分自身がいまやっていること、
目の前のことを一生懸命やることが社会の為、世界の為になるわけです。
いまやっている仕事だとか勉強を一生懸命やってほしい。
特に、ボランティアやる必要はないと思ってます。
私みたいにすることがなくって、
暇な人がやればいいんじゃないの?(笑)
やるのであれば、ボランティアさんこそ、
仕事をしている人以上に責任を持たなければいけない。
命が関わっていることが多いですから。
そういった意識をしっかりと持って欲しいですね。
本当は、ボランティアさんや私みたいに各方面に提言をしたり、
大騒ぎする人が居なくなったら世の中は平和になったと言えるんでしょうね。

では29歳の当時の自分に向けた言葉を色紙に書いて頂けますでしょうか?

いつも元気で明るくネ
結婚した時に主人に言われた言葉です。

今日はどうもありがとうございました!